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2008年08月30日

2008.8.30 開幕前のビッグニュース!!

 久しぶりにサッカーの話題で少しだけ。世界最高峰のリーグ、イタリアのセリエAは8月31日にいよいよ08-09シーズンが開幕する。高校野球、オリンピックが終わり、日本のプロ野球もほとんど先が見えてきてつまらない時期に、ようやく本当のプロの戦いが始まるという気分だ。そして私が応援するのは今年もACミラン。昨年の5位から今年は立て直さなければならない。ところが7月にバルセロナからブラジル人のロナウジーニョを取ってしまった。その時に私の友人には「良かったね。」「これで来シーズンが楽しみだな。」とか言われたのだが、あえて言わせてもらう。全然そんなことはない。私は何てばかなことを、、、。と思っているのである。ロナウジーニが世界最高の選手だなどということはまったく間違っていて、馬鹿げていると言い続けていた私である。あれはトリッキーで勝手放題やっているバルセロナやスペインリーグだからこそ通用するのであって、イタリアのサッカーではおそらく通用しない。つまり超一流ではないといつも思っているし、私が監督なら絶対にいらない選手なのである。カカとよく比較されるが、それはカカに失礼というものである。比べられるようなレベルの選手ではない。したがってロナウジーニョが取れてよかったなんていうのは、本当の見る目がないシロウトの言うことである。それに彼は昨年からコンディションもよくない。全盛期でもいらないのに、さらに3割引くらいに見える。ちなみに私の友人Aはバルセロナファンだが、7月に「あんなのいらないから早くそっちで持ってってくれ。」と言った。それに対して私が「こっちだっていらないさ。チェルシーに売りつけてくれ。」と冗談で言っていたのである。ところがそれを我がチームが買ってしまった。

 もう一つ言っておくとスペインリーグで活躍していた選手がミランには過去何人も入って来た。しかしその大半は期待の半分の活躍もできずに去っていった。ハビー・モレノ、ホセ・マリ、レドンド、そして今回のロナウジーニョと非常に似ているリバウド。リカルド・オリベイラもいた。ロナウジーニョがそれらの二の舞にならなければ嬉しい誤算だが、さあどうなるか。一応我がチームの選手になったからには応援してやるが、せいぜい頑張ってくれという気分である。

 さてそんな話はやめて、ミランはロナウジーニョ以外にけっこう良い選手を補強した。フラミニ、ザンブロッタ、そしてレンタルに出していたボリエッロも帰ってくる。しかしまだもの足りない、、、と思っていた今週、ビッグニュースが入ってきた。2年前にチェルシーに移籍していった元ミランのスーパースター、世界一のゴールゲッター、アンドリー・シェフチェンコが帰ってくることに決定したのである!!。チェルシーではほとんど活躍できず人生でもっとも苦しい2年間であったと思う。「最大の誤算」などと言われたが、冗談じゃない。あんな間違った起用をされて、ドログバにパスを出す役をやらされたりしては活躍できるわけがない。結局、監督の希望を無視してオーナーが勝手に取った時点で間違っていたのである。サッカーは監督に嫌われれば、どんな名選手でもひどい目にあったり、不幸なことが多い。アンドリーが可哀想だったし、見るに耐えなかったし、ファンとして悔しいかぎりであった。
 しかし悪夢は終わった。ミランのガッリアーニ副会長は「われわれは、過去50年のクラブの歴史で最も多くのゴールを決めた選手を再び“我が家”に迎えることができた。ベルルスコーニ首相(ミランのオーナー)、私、監督、そしてサポーターの皆がアンドリーの復帰を喜んでいる。私は一ファンとして幸せだ。」とコメントした。
 
 ウクライナの大将、アンドリー・シェフチェンコが帰ってくる。カカ、セードルフ、インザーギ、ガットゥーゾ、ピルロ、マルディーニ、ネスタ、カラーゼが待っている。そして新戦力も来る。これで今シーズンは絶対に良い戦いができることだろう。本当に楽しみになった。さあ開幕である。(No.89 了)

2008年08月24日

2008.8.24 北京五輪、最も印象に残ったのは、、、、

 久しぶりに日記を書いたら、ファンの方から「やっぱり今後も書いて欲しい。どんな内容でも、短くても良いので、、、、楽しみにしています。」と手紙が来た。それで今週も書いておこう。
 北京五輪が終わった。私は五輪大好き人間だから、毎日見ていた。結果は悲喜こもごもであり、メダルを取れて歓喜する選手から、まさかの1回戦負けで可哀想な選手までいろいろいた。それでも総じて日本人選手は頑張ったと思うし、期待以上にメダルも取れたと思う。まずは選手にお疲れ様と言いたい。
 前半戦は北島(選手、敬称略、以下同じ)をはじめとする競泳陣の頑張り。特に最後のメドレーリレーの銅は良かった。個人戦でただ一人予選で落ちていた自由形のアンカー佐藤が、レース後に泣いていた姿が印象的だった。柔道は連覇の3人も立派だと思うが、私はみんなから非難されながらも、ポイントを取って逃げる“自分流”で金を取った石井こそが立派だと思った。レスリングは女子、男子で併せて6個のメダル。期待どおりだが、それを実現した6選手は絶賛ものだった。フェンシングの太田もよかった。バトミントンは応援していた潮田さんが負けたのは残念だったが、さわやかだった。末綱、前田は頑張って奇跡を起こしたが、メダルに手が届かず。それでも素晴らしかった。卓球は福原も頑張ったが、平野の真剣な表情が印象的だった。ケイリンは銅を取った永井ももちろんよくやったが、それ以上に解説の中野浩一の「永井、行け、行け!!」という絶叫が競馬みたいで最高だった(笑)。ソフトボールは本当にお見事だった。陸上の400メートルリレーの銅も感動した。私は「朝原、末続が現役の内に、陸上でメダルを取らなければ、チャンスはない。」と常々言っていたから、このメダルは嬉しかった。
 ただ期待はずれの競技や選手もいた。それを私がどうこう言える立場ではないので言わないが、本人達は残念だっただろう。もっとも野球と男子サッカーについては私の期待はずれではなかった。大会前に友人達に「野球は4位、男子サッカーは3戦全敗か1分2敗で敗退」と予想を言っていた私である。すべて予想どおりになった。その理由はいっぱいあるのだが、ここには書けないことばかり。ただ昨日、勇気丈二君と電話で話したときにはかなりその理由を話した。彼は「なるほどなあ。いい話聞けました。」と言ってくれたから、わかってくれたようだ。私の予想は正しかったと思う。

 そして今回の北京五輪で私が一番感動した人とシーンは、多分皆さんとは違うと思う。金メダル選手ではないからだ。それは銀メダルに終わった伊調姉妹の姉、伊調千春選手である。前回アテネで銀に終わった千春選手。その時、金メダルだった妹の馨選手や吉田選手、そして銅メダルだった浜口選手と共にインタビューを受けていたが、他の3人とはまったく違っていた。一瞬たりとも笑わず、にこりともせず、憮然とした表情で「まわりは銀で凄いと言ってくれていますが、金だけを目指してきたので、全然うれしくないです!!。」喜ぶどころか怒りに満ちた感じ。その後もテレビで同じことを言い続けていた。銀で全然うれしくない。その根性が素晴らしいと私は思ったのである。

 そして今回。女子4選手の中で48K級の彼女は最初に登場。しかし2回戦から大苦戦であった。なんとか勝ちきったが、やはり妹の馨選手や吉田選手のような安定感はない。その2人の才能に対して、千春選手は圧倒的な努力でやってきたのだと思う。また左肩の靱帯は限界が近いほど悪いらしいし、左足親指はずっと骨にひびが入ったままだと聞いていた。それでもここまで戦ってきたのである。さらに苦しい戦いは続く。準々決勝の相手は前回アテネの決勝で負けたメルレニ。試合は大苦戦でずっとリードされていた。あと10秒、絶体絶命。それを残り5秒のところで投げ飛ばし大逆転した。これには本当に感動した。準決勝も苦戦が続いたが、そこも根性で頑張った。そうして決勝まで行った千春選手。しかし決勝では相手も強かったし、燃え尽きるように負けてしまった、、、、。
 私は彼女がまた「全然うれしくないです。」と言うのかと思うと、とてもやるせなく思った。本当によくやったではないか。五輪で2大会連続銀メダルなんてものすごいことではないか。今回の決勝までの全試合も素晴らしかったではないか。どうか胸を張ってほしい。現地まで行ってそう言ってあげたい気分だった。
 
 ところがその後がうれしい誤算だった。千春選手は表彰台で、前回の憮然とした表情とはまったく違う、笑顔を見せたのだ!銀メダルを高々と上げての笑顔。アナウンサーが「銀メダルが金色に輝いてみえます!。」と言ったが、本当にそのとおりだった。そして試合後のインタビューで千春選手は「馨と一緒に歩んできた道というのは最高の道だったから、その道を歩んで来れたことが、私の誇りです。だからこのメダルも金メダルだと。今まで頑張って来れた自分に感謝したいです。」と言った。これが今回の五輪でもっとも印象的なシーンであり、もっとも感動した場面であった。(No.88 了)

2008年08月13日

2008.8.13 福島ツアー大成功、そしてツアーの終了

 前回が5月だったから3ヶ月ぶりである。この間いろいろあった。まずは皆さん知ってのとおり「日本ダービー」の敗戦。前回の日記でも自信がないことや、ハッキリしないことを強く書いておいたが、それでも最善は尽くしたし、必死で予想したし、多額の馬券を買った私である。しかしそれらは実らなかった。言い訳はしない。今年の「日本ダービー」の結果や、それに対して私が思うことは、すべて7月15日発売の「風花ゴールド」第12号に書いておいたので、興味のある方はそちらを読んでいただければと思う。
 また6月初めには勇気丈二君に誘ってもらって、初めて上海に行って来た。それについても同誌に書いておいたが、実に楽しい旅であり印象に残った。また機会があれば行きたいと思う。
 そして7月には「風花・勇気と行く、福島競馬ツアー」を行った。それから1ヶ月近く経ってしまったが、今回はそのことについて書いておく。
 まずは7月10日に私と幹事のAとなぜかついてきたTという男が名古屋から仙台入りした。その仙台では、名物の牛タンや初めて食べたフカヒレの寿司などを堪能し、そして7月12日に福島の飯坂温泉に行った。ホテル「湯乃屋」さんが今年のツアーの宿。そこで毎年と同じように講演会から始まり、その後の大宴会から2次会という流れで時は過ぎて行った。
 今年も北は北海道、南は九州と全国から30数名が集まってくれた。初参加は青森のYIさん、HIさん、KIさん、準地元山形から仲の良いHEさん、JYさん、MWさんの3人組、また東京からはKUさん、横浜からはMNさん、そして勇気君の会社のMSさん。あとはツアー参加2回目以上の常連の方々。中には全6回参加の猛者が2名。その内の一人、愛知県のTW君が今回は幹事としていろいろやってくれたのだった。このホテルを選んで予約してくれたのも彼だった。宴会では盛り上がったし、2次会では皆さん楽しそうに競馬の検討や雑談を夜中までしてみえた。もちろん私も加わって。今年のメンバーも皆いい人ばかりでありがたかった。

 翌13日は早朝からバスで福島競馬場に向かい、無事全員で指定席に入ることができた。これでかなりほっとした。あとは皆さんがそれぞれに競馬で頑張ったり、楽しんだりしてくれればよい。そしてスタートから皆さんは本当によく的中された。午前中から3連複の万馬券や馬連の高配当を取られた方が何人もみえた。午後もレースごとに誰かが的中させていた。
そして迎えたメイン。まず阪神の「プロキオンS」で毎年のように高額払戻しをされる福岡のTSさんが3連複で80万余を獲得。その他のレースも併せて今年も100万以上の払戻しをされたようだった。いつもお見事である。そして彼をマークしていた?愛知のNMさんも数十万。他にも的中者がいた。そしてご当地のメインは「七夕賞」。こちらはミヤビランベリ、ミストラルクルーズという人気薄同士の1、2着で、馬連2万馬券、馬単と3連複が4万馬券、そして3連単が35万馬券というとてつもない超大穴になったのだが、北海道のHKさんをはじめ何人かが馬連や馬単を取り、けっこう笑顔があった。そして何と鎌倉のTIさんが3連単を300円持ってみえて、払戻しは100万超え。皆の祝福に非常に嬉しそうだった。この日のレースについての私自身の予想や馬券については次号(第13号、9月15日発売予定)の「風花ゴールド」に書くつもりなので興味のある方はそれを見ていただきたいが、それにしても皆さんお見事だった。

 そして最終レースの終了とともにツアーも終了。今回も無事終わってほっとした。時間のある方々とは予約してあったJR福島駅近くの居酒屋で打ち上げをやり、そこでもなぜか信じられないくらい盛り上がって、楽しかった。今年もまたまた大成功。幹事をつとめてくれたTW君と私の終生の親友Aよ、ご苦労様。そしてもちろん勇気丈二君、マクリー(株)社長のOさん、常連の方々から今回初参加の方々まで、全員のおかげで成功したのである。この場を借りてお礼申し上げたい。ありがとうございました。

 さて例年のツアー後の日記ならここで終わりだが、今回はもう少し。ツアーの途中でも皆さんにお話ししたのだが、6年続けて来たこの「風花・勇気と行く○○ツアー」は今回をもって終わりにする。理由はいろいろあるのだが、一番大きなことは私自身の負担とプレッシャーが大きすぎることである。毎年、ツアー前の1ヶ月くらいは本当に大変だった。まず講演会の話について。全国から来てくれるファンの方々の為に少しでも多く、よい話、為になる話をしようと毎年頑張ったつもりである。結果は全6回すべての講演が良い内容であったと自負しているし、多くの方々に満足していただいたのではないかと思っている。しかしその裏には多くの下準備があった。講演の話を決めるのに何日もかかったし、資料作りから、さらには一人で夜中に時間配分などの練習もしたのである。まあお金をいただいてやる以上はそんなことは当然であるが、それでも他の仕事と重なるわけで、それは大変だった。そして最大の理由はプレッシャー。それは私が万が一、病気やけがで行けなかったらすべて終わってしまうという精神的重圧である。日本中から来てもらう以上それは絶対に許されない。それにもし行けたとしても体調不良では迷惑をかける。少なくとも講演会、宴会から予想までは私がちゃんとしなければこのツアーは成り立たないのである。そのプレッシャーは本当に強かった。さらにアクシデントで行けないとかも許されない。私が地元の中京以外はすべて2日か3日前までに現地かその近くまで行っていたのもそれが理由である。また昨年はツアーの約3週間前に私は内蔵の病気になった。もう少しで入院というくらいで、その時は本当に「やってしまった。」と思った。毎日病院に点滴に通って、幸いにもツアーまでにかなり治ったが、病気があと1週間遅かったらアウトだった。他にも中京の時などは個人的な問題をかかえていて、精神的にあまり良くなかった。2次会の後、夜中にずっと電話があり、実はあの時はほとんど寝ない状態で、当日の中京競馬場へ行ったのである。言わなかったが、この6年でもいろいろなことがあったのである。

 余談だが、この毎年のツアーではけっこう天候などのアクシデントもあった。最初の函館の時は宮城の地震で東北新幹線が止まり、福島のSSさんが講演会に間に合わなかった。2回目の小倉の時は台風が近づいていて、皆さんが全員来てくれるまで本当に不安だった。幸い台風の速度が遅くなって、競馬が終わった時はまだ小倉には来ていなくて無事ツアーは終了。しかし小倉に泊まった我々は翌日、台風直撃でホテルから出られなかった。札幌の時は当日の競馬場で雨にかなり降られた。昨年の新潟はツアーの1ヶ月前に新潟に地震があり、今年の福島もツアーの1ヶ月前に宮城県の地震。これだけあるとまるで私や幹事Aの“日頃の行い”が悪いのかもなどと思ったりした(笑)。それでもなんとかツアーは無事に終わってきたのだった。

 話を戻して、そんなわけで私としてはこれ以上この形のツアーはやらないと決めたのである。実は3回目くらいでそう思っていたが、私は意地っ張りだから、函館、小倉、札幌の3回では終わりたくなかったのもある。最初に始めた時に、うまくいったら6場行くつもりだったから。それに阪神改装のおかげで、2年前に9月の中京でやれたのが大きかった。それであと2つ、新潟、福島をやる気になったのである。またこのまま東京、中山、京都、阪神と続けてほしいという方もみえたが、それは違うのである。このツアーの趣旨の一つは、JRAのCMではないが、夏の競馬で旅をしながら尚かつ競馬で思い出を作ってもらおうということでもあったのである。私ができるだけ温泉や食事や観光地にこだわったのはそれが理由でもあった。何年か後に思い出した時に、競馬だけではない何かもあってほしいと思ったのである。したがって中央4場ではやりたくないし、夏しかやりたくなかったのである。
 そしてツアー成功の陰には「The whos who」の人達が手伝ってくれたことも大きかった。2回幹事をやってくれた蒼樹さんと今年のTW君をはじめ、何人かが資料作りや買い出しや打ち上げの手伝いなどをしてくれた。もちろん先の親友Aが小倉以降の5回、当方の幹事として手伝ってくれたことも大きい。そういった方々がいて6年、6回続いたのである。函館、小倉、札幌、中京、新潟、福島の全6回のツアーのすべての参加者に深くお礼を申し上げたい。皆さん全員のおかげで楽しい夏のツアーでした。本当にありがとうございました。

 ちなみに今年のツアーでも話したが、この形のツアーは終わりだが、これで私が皆さんとは二度と会わないという訳ではない。今後たとえば「The whos who」の方々がツアーを企画したりしてくれれば、私は一参加者としてなら参加するかもしれない。ただ“風花と行く”とか“講演会あり”というのは終わりということである。したがって皆さんとはまた違った形で今後もお会いできる可能性は十分ある。そういっておく。

 ともかく夏のツアーは終わった。函館の打ち上げの楽しさ、小倉の時の門司の雰囲気、札幌のカニつくしの宴会、ダービー馬を間近で見た中京、新潟競馬場での絶叫、福島での皆さんの笑顔などを思い浮かべながら、当分は余韻に浸りたいと思っている。(No.87 了)