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【2005.3.23 偉大なるプレイヤーの引退】

先日、偉大なプレイヤーの引退があった。こう書くと大半の人は岡部騎手のことだと思うことだろう。しかし私は岡部の引退くらいで日記にはしない。もっとも岡部騎手は嫌いではないし、むしろ私に初めて馬券を取らせてくれたのは岡部騎乗の馬ダイナカールだったのだから、どちらかと言えば好きな騎手であった。したがって先に少し岡部騎手のことも書いておこう。


岡部幸雄騎手の経歴は新聞や各種の報道でわかるし、今さら書くまでもない。数多くの大レースを勝ち、人気馬に乗った時にもかなりの確率で危なげなく勝ってくれる、名ジョッキーだった。やはり彼のクライマックスは昭和58、59年のシンボリルドルフである。15戦13勝、2着1回、3着1回のすべてのレースに岡部騎手が乗り、1度も別の騎手が乗ることがなかった。その安定した騎乗ぶりは、当時としての大金を毎回ルドルフの馬券に入れていた私を、いつも何事も無かったように勝って助けてくれた。私はルドルフの13勝中11のレースで馬券を買いすべて的中している。そして負けた2戦は買わなかったのだから、ルドルフと岡部騎手は約2年間、パーフェクトで私の馬券を的中させてくれた訳だ。そんなことはあれ以降一度もないし、もう今後もないかもしれない。またダイナカールの「オークス」やトウカイテイオーの「ジャパンカップ」、ビワハヤヒデの「菊花賞」なども印象深い。他にもダイナアクトレスやシンコウラブリイ、タイキブリザードにタイキシャトルなど、思い出す馬も多い。とにかくその騎乗スタイルは極端な逃げや大外一気の追い込みはほとんど無く、好位差しが圧倒的に多かった。それが大金勝負をする側にはどれだけありがたかったことか。あれが毎回の最後方強襲だったら、馬券以前に私の心臓が危なかったかもしれない(笑)。まあそれは冗談だが、とにかく安定感抜群で上手な騎手だった。38年の騎手人生ご苦労様といいたい。JRAとしても過去にまったく例のない引退記念レースや多くのセレモニーをやって送り出した。幸せな騎手人生だったことだろう。

さて私が書きたかったのはバティストゥータのことである。サッカーの元アルゼンチン代表のFW、ガブリエル・バティストゥータが3月13日に現役引退を表明した。36歳、潮時と言えばそれまでだが、実に残念である。昨年秋のロベルト・バッジオ(イタリアの至宝と呼ばれたスタープレーヤー)の引退と併せて、これで1990年代後半のスーパースターはついに誰もいなくなってしまった感がある。サッカー界の一つの時代が終わったのだと私は思う。

バティストゥータはアルゼンチンのリーベル・プレート、ボカ・ジュニアーズでプレーした後、イタリアに渡りセリエAのフィオレンティーナに在籍。右足で豪快に蹴りこむシュートは“バティゴール”という愛称がつき、またヘッドでもそして時には左足でもゴールを決め続け、世界一のリーグといわれるセリエAでも屈指のストライカーとして大活躍した。そのゴールの豪快さと勝負強さは間違いなく世界最強だったと私は思っている。またエネルギッシュなプレースタイルだけではなく、スピードあふれるドリブル、そしてキーパーとの1対1の局面での圧倒的な強さ、たぐいまれな闘争心など、すべてにおいて最高のプレイヤーだった。これから先の21世紀でも彼以上の選手はもう出現しない気がする。

フィオレンティーナは名門であったがそのころは成績が低迷していて、バティストゥータがいくら得点を取っても優勝はできなかった。それどころか1993年には2部のセリエBに落ちたのである。誰もがバティストゥータは移籍してチームを出て行くと思ったのだが、彼は「こんな状態でチームを見捨てられない」と言ってチームにとどまり、次のシーズンをセリエBでプレー。年間16ゴールをあげてチームを1シーズンでセリエAに復帰させた。続く1994-95シーズンでは26得点をあげ、セリエAの得点王を獲得。その後も優勝できないチームをMFのルイコスタ(ポルトガル)、GKのトルド(イタリア)と共にひっぱりプレーを続けた。そしてそれに感動した地元フィレンツェの市民が皆でお金を出し合ってなんとバティストゥータの銅像を建てたのだった。現役選手の銅像を建てるなんて日本ではちょっと信じられない話だろうが、事実である。

しかしフィオレンティーナではいくら頑張っても優勝できず、ついに30歳を過ぎてからバティストゥータはローマに移籍。ローマも名門だが、当時は毎年4位あたりのチームで、優勝からはずっと遠ざかっていた。しかしシーズンの前半戦からバティストゥータはゴールをあげ続け、チームは首位に立ったまま突っ走り、ついにセリエAで優勝。バティストゥータの人生の中でも最高の年になったのだった。ちなみにその2001-2002シーズンのローマの全試合を私は衛星放送で観ている。サポーターとしての私に取っても最高のシーズンだった。

ただバティストゥータにはフィオレンティーナ時代に痛めた膝の古傷があった。本当は手術が必要なはずだったが、手術すれば年齢的にもう復帰は難しいので、彼は痛みと闘いながらその頃のシーズンを戦っていたのだった。そしてその後2003年のシーズン途中で今度はインテルに移籍。さらに同年の秋に中東カタールのアル・アラビというクラブにコーチ兼任で行ってしまった。私の推測では彼の膝はもうセリエAで戦える状態ではなかったのだと思う。アル・アラビでも最初は満足にプレーできていなかったと聞く。しかしコーチ兼任のまま次第に実力を発揮して、最終的には年間25ゴールを記録して得点王を取っていた。しかし2年目の今期はやはり故障でわずか3試合しか出場できず、ついにこの日の引退となったのだった。

もちろん彼はサッカーの祭典ワールドカップにも過去3大会出場している。残念ながら優勝などは味わえなかったが、印象に残る活躍をしている。またアルゼンチン代表としては史上最多の56ゴールを記録している。これはかつての英雄マラドーナの34ゴールと比べればどれだけ凄いかわかることである。セリエAでは通算318試合で183ゴールを記録。世界一守備が堅く、0-0、1-0の試合も多いリーグでの記録としては驚異的である。その他にもヨーロッパのカップ戦のゴールなどもある訳だから彼がそのサッカー人生であげたゴールは途方もない数であろう。
彼はかつて、自分が出ていない試合のテレビをほとんど観ないことでも知られていた。ヨーロッパのビッグゲームでさえも。その理由を問われて彼はこう答えている。
「自分の出ていないゲームはほとんど興味がない。なぜなら私にとってのサッカーとはゴールすることなのだから」と。ゴールすることだけがすべての男!そんな世界最強の男が引退した3月である。   

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